本大学院は2006年に創立され、修了生も700人近くになりました。
修了生は、中央省庁・地方自治体・政府系企業団体・民間企業・政界・研究者と各界の第一線で活躍しております。
今日の社会問題を見る時、どの分野においてもリーダーの在り方が鋭く問われています。
本大学院では公共政策の研究を通して、正しい心・公共心を持った社会のリーダーを育成することを目指しています。
そのため同窓会と致しましても、修了者の親睦や情報交換の場の提供、中央省庁に勤務するOBネットワークの構築や研究会の開催、また現役生向けには各界で活躍するOB・OGによるリレー講座を開設する等、現役生の研究や進路選択に役立つ同窓会を目指して活動しております。
修了生の皆様には、修了生同士の親睦・情報交換や現役生の研究を支援する同窓会活動に是非、参画下さいますようお願い申し上げます。
鴻鵠会会長 菅谷 寛志(7期)
鴻鵠会会員の皆様、実務家教員(日本銀行OB)の岩下直行です。公共政策大学院の同窓会担当を務めております。どうぞよろしくお願い申し上げます。ご挨拶のメッセージを求められましたので、日頃思うところを申し述べたいと思います。
司馬遷の史記に登場する「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉はあまりに有名です。鴻鵠会は、この古典に基づいてその名が付けられました。
大きな鳥は小さな鳥には分からない遠大な志を持っているのだというこの言葉は、今日的な視点からは、上から目線という誹りを受けてしまうかもしれません。公共のために尽くすという観点からは、大きな鳥こそ小さな鳥と心をひとつにし、お互いに分かり合うことが必要だというのが、今風の望ましい姿のように思います。
ただこの言葉の来歴をもっと詳しく知ると、ちょっと異なる印象を持ちます。この言葉を発したのは陳勝。秦の始皇帝が亡くなった後、中国史上最初の農民反乱である「陳勝・呉広の乱」を起こした首謀者です。
紀元前209年に反乱を起こした陳勝は、翌年に討伐軍に攻められて敗死します。結局、陳勝の抱いた鴻鵠の志が完遂されることはありませんでした。ただ、この反乱の中で、陳勝はもうひとつ、有名な言葉を発します。「王侯将相、寧んぞ種有らんや」つまり、王・諸侯・将軍・大臣となるかどうかを決めるのは血筋ではなく、誰でも実力次第でなれるのだという、当時としては大胆な発言でした。この陳勝による反乱が秦帝国の瓦解のきっかけを作り、後の漢王朝を生み出すことになります。司馬遷は、こうした陳勝のチャレンジャー精神を評価して、史記の中に、貴族たちの記録と並んで、陳勝のエピソードを記録したのでしょう。
変化の激しい現代において、公共政策の分野でも、前例にとらわれない改革が求められています。鴻鵠会会員の皆様には、その名にあやかり、遠大な志とチャレンジャー精神をもって、遺憾なくその実力を発揮されることを願っております。
教授 岩下 直行
京都大学公共政策大学院が開学すると同時に私が初代の研究部長・教育部長に就任したのは、設置準備の段階で中心的な仕事をしていたためであろう。この作業のなかでとりわけ留意したことは、公共政策大学院を職業教育の場としてぎすぎすしたものにしないことであった。専門職大学院ではあるが、教育機関であるかぎりは学生相互、そして学生と教職員のあいだに人間的な触れ合いがあることが重要であると考えたわけである。同じ志をもつ者が学問のみならず色々な場面で協力することは、人間の幅を広げる上で絶対に必要なことである。同時にまた、各自の個性や信念の相違を承認し合うことは、現代社会に生きる者として最低限身につけるべき作法であろう。公共政策大学院では、なによりもまずこうしたエートスを修得してほしいと願ったのである。
今年で公共政策大学院は、開学後4年目を迎える。上で述べた私どもの願いは、見事に実を結んでいるように思われる。私どもが意図したように、少ない学生数の下で各自が2年間の学生生活をエンジョイし、また一般選抜と職業人選抜、外国人特別選抜の合格者の関係も良好であるようにみえる。この度、卒業生および在学生の全面的な力添えで、同窓会のウェブが新設されたのも、その証左であろう。もう少し勉強してもよいのではと思わせるところもないではないが、この雰囲気を維持することのほうが大事であると私には思われる。これが京都大学公共政策大学院の伝統として受け継がれていくことを、創設メンバーのひとりとして切に望む次第である。
鴻鵠会名誉顧問 小野 紀明